ちょっと発達が遅れぎみ?と感じていた二女。「歩けるようにも話せるようにもならない」と言われて【レット症候群】
岐阜県在住の森康行さん夫婦には、10歳(長女)、8歳(二女)、5歳(長男)の3人の子どもがいます。二女のおとちゃんは2歳になる少し前に、レット症候群と診断されました。この病気は進行性の神経疾患で、2015年より国の指定難病となっています。
おとちゃんの症状は徐々に進行し、現在は日常生活の多くで介助が必要です。
病気が判明して以降、ずっとおとちゃんに寄り添ってきた康行さんに話を聞きました。全2回のインタビューの前編です。
2人の娘の父親となり、家庭でも会社でも満ちたりた日々
おとちゃんは2018年1月に、康行さん夫婦のもとに生まれました。
「当時、私は一般企業の営業職でとても多忙でしたが、出産にだけは立ち会うと決めていたので、長女もおとも、その後に生まれた長男も、出産には立ち会いました。
長女のときは、何が何だかわからないまま分娩室について行ったような状態。助産師さんに『お父さん、そこにいると邪魔です!』って言われるほど役立たずでした。
おとのときは2回目だったこともあり、わりと落ち着いて立ち会うことができました。出産はとてもスムーズで、分娩室に入って1時間40分で誕生。初めて顔を見たときは『かわいい』しか頭に浮かばなかったです」(康行さん)
妻のはるなさんはフルタイムで働いており、育休を取って2人の娘たちの子育てをしました。
「私が勤めていた会社は男性社員が育休を取った前例がなく、また、任されている仕事も多かったので、私自身が育休を取ることは考えませんでした。私の実家は遠く、妻の親は現役で働いていたので、平日の育児は妻に任せっきりで、私は土日にお世話をする程度。振り返ると、妻はとても大変だっただろうと、申し訳ない気持ちになります」(康行さん)
おとちゃんは生後6カ月から保育園に入り、はるなさんは仕事に復帰しました。
「生活のためでもありますが、私も妻も仕事にやりがいを感じていて、私たち夫婦にとって共働きは自然な選択でした。だから長女も生後6カ月から保育園にお世話になりました。
2人の子育てと仕事を両立する日々は忙しかったけれど、その分オンとオフの切り替えは大切にしていて、年に1回は家族で海外旅行に行きました。子どもたちにもいろいろな世界を見せてあげたかったですし、家族としての生活はとても充実していました」(康行さん)
「歩けるようにも、話せるようにもならない」。病気の可能性を医師から告げられる
おとちゃんが保育園に通い始めて4カ月が過ぎた生後10カ月ごろ、気になることが起こりました。
「保育園の先生から『おすわりができなくなりました』って言われたんです。
おとは生後6カ月には寝返りができるようになり、生後10カ月ごろには大人がおすわりの姿勢を取らせてあげれば、座っていられるようになっていました。
ところが、おすわりの姿勢を保持できなくて、後ろに倒れてしまうと先生が言うんです。家で座らせてみても、やっぱり後ろに倒れてしまいました。
でも、私も妻も心配していませんでした。『今はそんなにおすわりしたくない気分なのかな』『おとは発達がゆっくりめなんだろうな』くらいにしか考えていなかったんです」(康行さん)
1歳児健診を受けたとき、おとちゃんは、はいはい、つかまり立ち、ひとり歩きができていませんでした。
「足に問題があるかもしれないということで、後日、健診を受けた保健所で、股関節の検査を受けましたが、異常はなく、半年間様子を見ることになりました。
半年後もおとの状態は変わらず、1歳6カ月のとき地元の大学病院で診てもらうことに。私も仕事を休み、付き添いました。発達の様子を診てもらい、さらに全身のMRI検査、血液検査、染色体検査を行いましたが、異常は見つからず、あと残っているのは遺伝子検査だけ。遺伝子検査は地元の大学病院ではできないそうで、検査ができる機関に親子3人の血液を送りました。
担当医から遺伝子検査の診断結果が出るのは数カ月後になる、という説明を受けました。と同時に、『レット症候群の可能性がある』と言われました。今まで一度も聞いたことがない病名です。『何それ?』というのが、そのときの率直な感想でした」(康行さん)
レット症候群は主に神経系に障害が現れる病気です。患者の多くは女の子で、有病率は20歳以下の女性の0.008%(1万人に0.8人)とされます。現在、日本国内に1000人程度の患者がいると推定されています。
睡眠や筋緊張の異常、姿勢運動の異常、側弯、知的障害、てんかんなどの症状が徐々に現れるようになり、今のところ根本的な治療法はありません(※)。
思いもよらない病名を聞き、ぼうぜんとしている康行さん夫婦は、さらに衝撃的な説明を医師から聞くことになります。
「『レット症候群だったら、これからも歩けるようにならないし、話せるようにもならない』と、担当医が言うんです。そのときまで、おとに障害がある可能性について、ほんの少しも考えたことはありませんでした。私も妻も、これまでの人生で感じたことがないほど大きなショックを受けました。
病院から帰る車の中で、夫婦ともに涙が止まりませんでした。とくに妻は『健康な体に産んであげられなかった』と自分を責めていました。私は『はるなのせいじゃない』『だれも悪くない』と、言葉をかけ続けました。おとを育ててきた8年間の中で、この日ほどつらかった日はありません」(康行さん)
※小児慢性特定疾病情報センターHPより、編集部にて改変。
確定診断がつく前に覚悟はしたものの、「発達が遅いだけ」という期待も
医師からレット症候群の可能性を示されたことで、康行さんはネット上のレット症候群の情報を調べ始めました。
「『レット症候群』と入力すると、予測変換で『レット症候群 寿命』と出てきて、心臓がキュッと痛くなりました。命にかかわる病気なのか?おとの命はわずかなのか?と、キーボードを打つ指が震えました。
こわくて、『レット症候群 寿命』はクリックせず、レット症候群の概要が書かれているようなサイトを確認しました。解説を読むと、結果、寿命のことにも触れているので、避けては通れないことではありましたが・・・。
平均寿命は40歳以上といわれているようで、少しだけホッとしたのは事実です。でもそれ以上に、『病気であろうがなかろうが、かわいいわが子であることに変わりはない』と、気持ちを前向きに切り替えることができました。
そのころ私も妻も30代になったばかりで、私たちにとって40代は未知の世界。まして、おとが40代になったときのことなんて想像もできません。そんな先のことを考えてもしかたがないから、今、家族みんなで幸せに過ごすためにできることを考えようと、妻と話し合いました」(康行さん)
遺伝子検査の結果を待つ間、康行さんはレット症候群についての知識を深めていきました。
「診断結果が出る前に、気持ちの7割くらいは、レット症候群なのだろうと覚悟をしていました。
レット症候群の子どもは日中によく寝ていて『手のかからない子』と思われることがあるようです。おとは0歳児のころからよく寝る子で、『上の子と比べて、おとは手がかからない』と、妻が言っていたのを思い出しました。あれは病気のせいだったのかな、と思いました。
それでもまだ3割くらいは、『単に発達が遅いだけなんじゃないか』という希望も持ち続けていました」(康行さん)
診断結果が出たのは、おとちゃんが2歳になる少し前でした。
「覚悟していたとはいえ、医師から『レット症候群です』と告げられたときはやはりショックでした。
でもこの数カ月、『病気があっても、おとがかわいいのは変わらない。今までどおり育てていこう』と、夫婦で何度も確認していました。だから医師の言葉は冷静に受け止められました。
根本的な治療法はないので、小児科と整形外科で定期検査を行い、何か症状が現れたらそのつど対応していく、という治療方針が決まりました」(康行さん)
保育園に通えなくなり、仕事と育児・介助の両立が非常に困難な状況に
レット症候群とわかったとき、おとちゃんは保育園の1歳児クラスに通っていました。
「診断後も病状に変化はなく、リハビリや通院の付き添いは、夫婦で交代して行いました。仕事のやりくりは大変になりましたが、それでも何とかやっていけるだろうと思っていたんです。
ところが、その保育園での3歳児クラスへの進級は難しいと言われ、やむなく退園することになりました」(康行さん)
歩けず、生活するための介助が必要なおとちゃんを、夕方まで預かってくれる保育園や施設は、当時、康行さんが住む地域にはありませんでした。
「保育園を退園したあと、だれに相談すればいいのかわからず、頼れる人もいない。世間から突き放され、暗闇の世界に放り込まれたように感じました。インクルーシブといわれる時代に、障害が理由でこんなことがあっていいのかと、頼れる施設はないのかとやるせなさを感じました。
2020年当時、コロナ禍の影響で私はリモートワークが増えていたので、家でおとの世話をしながら仕事をしたり、妻と交替で有給休暇を取って病院に付き添ったりしつつ、おとを預かってくれる施設を探し続けました。
でも、障害のある子どもを預かってくれる施設は、空きがあったとしても午後2時まで。夫婦がフルタイムで働くには厳しい条件です。
幸いおとは、知り合いが運営する施設を紹介してもらえ、通所できたのですが、そこは重症心身障害児のための施設ではなく、発達障害のある子どもたちのための施設。ずっと預かってもらうのは無理があります。これから先、私たち家族はどうなるのか、私も妻もとても不安でした」(康行さん)
おとちゃんを夕方まで預かってくれる施設が地元にない。それがわかったとき、康行さんはあるひとつの決断をしました。それは、重症心身障害児のための通所施設を自ら作ることでした。
お話・写真提供/森康行さん 取材・文/東裕美 構成・編集/仲村教子(entente)、たまひよONLINE編集部
難病を患っているわが子を預かってくれる施設がなく、「世の中から拒絶されているように感じた」と康行さんは話します。そして家族の笑顔を守るために、康行さんは行動を開始します。
インタビューの後編は、施設の立ち上げから現在に至るまでのことです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
森康行さん(もりやすゆき)
PROFILE
兵庫県西宮市出身。二女の障害をきっかけに岐阜県岐南町で重症心身障害児と医療的ケア児を対象とした児童福祉施設「サードストリート」を設立。子どもたちの可能性を広げる支援と、社会とつながる新しい選択肢づくりに挑戦している。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年4月の情報であり、現在と異なる場合があります。


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